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マレーシア3

 ミャンマーのデモはマレーシアのニュースでもやってました。マレー語が分からないのもあって、現地の影響は全く感じませんでした。家に帰ってきて母とミャンマーの話をしたら、「ビルマ」と言わないと通じなかったのが驚きです。「ミャンマー」と言うと、それどこって反応でした。私の認識も今回のデモが起きるまでは東南アジアの一国くらいでした。民主化が最善の策かは分かりませんが、ミャンマーの国民が安心して生活していけるよう願ってます。
 修学旅行3日目も6時起床。昨日の午後に続いてコース別で移動しました。私たちは1日マラッカ観光。コースごとに朝食の時間がずらしてあって、マラッカ組は最後でした。待ち時間が眠くて眠くて仕方なかったです。昨日とは少し違うメニューでしたが、雑なのは変わらず。ウェイターはバイトみたいな扱いなんでしょうか。
 マラッカはクアラルンプールより暑いと先生から聞きました。でも温度で苦労したのは外よりバスの中でした。冷房の温度設定が出来ないので、付けるとゴーッと音を立てて冷風があたるし、消した途端にムワッとした空気に包まれます。どうせ寝てる人ばかりなんだから気にすることもないと思うでしょ?でも極端すぎるんです。あれで風邪ひいたのかは知りませんが、旅行中に救急車で病院に運ばれた生徒もいたようです。
 ずっとバスで移動していて、どこからマラッカなのかよく分からなかったんですが、カラフルな塔が左右に3本(3基)ずつ建っている所を通過しました。多分その時くぐった門が境なんでしょう。そこを通った後も、段々細い道に入りながらバスで進みます。歴史を残した街なので細い道になればなるほど建物が特徴的になります。いきなり学校が3校ほど続いて建っていたり、いきなり立派な教会が建っていたり、いきなり両側の建物が年季の入った赤色一色に染まっていたり。オランダ人が建てた建物を後に中国人が使っていったそうです。今は中国人が住んでいそうな気配や、改装しておしゃれなお店になっていました。なんか「ならまち」みたいな感じ。中国人が住んでいる家は表に赤いちょうちんが干し柿のように吊されていて、漢字の看板が入り口の上に掲げられていました。お店の方は表の壁をガラス張りにしたり、宣伝の看板が掲げてあったり外だけ残して自由にアレンジしていました。
 何度も角を曲がって着いたのは仏教のお寺でした。見かけはすごく派手。狛犬のようなものが門前と本堂の入り口前に置いてあります。よく見ると狛犬でもシーサーでもないんですが、対であるんです。そのうちバスガイドが龍だと説明しました。いくらなんでも龍じゃないよ。かわいすぎます。多分聞き違いでしょう。マレーシア人は母語でも外国語でも早口でした。裏側には狭いひな壇にいくつも位牌が置いてありました。10万円相当のお金を払ってそこに置いてもらって、毎日お坊さんにお経を読んでもらうのだそうです。面白いのは位牌に小さな写真が貼ってあること。一辺が5cm弱なので誰かなんて分かりそうにないので気休め程度です。不思議なところばかりでした。でも、自分が信仰しているお寺に観光客が入ってきても許せる人たちはすごいです。確かに観光客はお金を落としますが、ツアー客なんてうるさいばっかりで歴史も文化もそんなに見てないはず。黙認くらいだとしても、許せるところは尊敬します。
 お寺を離れて道をくねくね進んでレストランへ到着。昼食はニョニャ料理でした。マレー料理と中華料理が混ざった料理だそうです。ただし昨日の夕食とほとんど変わらなかったので、食べたのは中華料理だと言っていいと思います。海老とかチンジャオロースーとか野菜炒めとかカレー味の鶏肉(これは中華じゃないか)とか、デザートはすいかでした。チャーハンがお椀によそってあるんですが、お椀が空になるとすぐにつぎを入れに来るんです。ボールいっぱいにチャーハンを盛って店員がぬっと横に現れるんです。わんこそばみたいでした。円卓の向かいに座っていた子は5杯くらい食べてて、他の料理も残りを全て食べてました。「まだ限界を感じないんだよねー」と言ってて、胃袋が宇宙の人を見た気分でした。あんなに食べられると気持ちいいですね。
 午後はオランダ広場へ。マラッカと言えば必ず出てくる赤い教会がある場所です。昔は各部屋に時計がなかったので時計台が必要だったそうです。今はその時計台の時計はセイコー製だとか。それを聞きつつ写真撮影。それが終わるとスタダイスというオランダ人の住んでいた建物に入りました。中は博物館でろう人形が妙にリアルな姿勢をしてました。入るとすぐマレーシアがどんな歴史を辿ってきたか、というかマレーシアはどの国だったかが分かります。そこに入ってからマレーシアが60年ほど前は日本だったと初めて実感しました。日本語を話せる61歳以上の人も居るし、その人達は私たちの先祖に支配されていたという知識はあります。でも、開発中の首都を見ていると実感は全く湧きませんでした。マレーシアは戦前はイギリスの植民地、戦後も50年前に独立するまではイギリス領でした。61歳以上の人は、覚えていなくても忘れられなくても3カ国の人間になったことがあるってことなんですよね。ずっと同じ土地に住んでいるのに、おかしい話です。日本兵の他にもピエロみたいな格好や結婚式の様子を表したろう人形達がいました。
 そこを出てセントポール教会へ行きます。教会といっても天井はないしボロボロで跡だけです。髪がふさふさの白いフランシスコ・ザビエル像が立っていました。そこからの眺めが良かったです。ただし白いビルがにょきっと一つ建っているのが邪魔でした。教会跡にはハーモニカを吹いている人がいて『上を向いて歩こう』を演奏してました。所々にぼろを着て手や空き缶を差し出している人がいました。学生には効果無いようです。階段を下りてサンチャゴ砦を少し見た後、バスに乗り込みました。
 夕食は中華料理。昨日の夜から3食同じようなものを食べている感覚でした。チャーハン、海老、すいかなど。海老チリソースがかかったお頭付きの魚が美味しかったです。食後は誰かが買ってきたイモチップスを食べて就寝。一日中ほとんどバスで寝ていたのですが、懲りずにまた寝ました。3時までは起きてたんです。トランプしながら喋ってました。それでも段々人が減っていって、最終的に2人になったので寝たのが3時。同室の人は初日の早めの就寝に懲りて、2・3日目は他の部屋でオールしたそうです。

 続きは明日。

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  • 2007-10-10
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